『GTA3』が悪いんじゃない。PS2が悪いんだ。

先日一家惨殺した15歳がPS2版の『GTA3』を持っていたらしくテレビ朝日が大はしゃぎ。まあとりあえずゲーム叩いとけ的雰囲気が漂っておりました。そして当然の如く登場する日本大学森昭雄教授。「ゲーム脳」という科学的には全く立証されていない用語を生み出したトンデモ教授。我らが川島隆太教授がゲームという媒体を使って脳の訓練をしようとしているのに対し、ゲームは全て悪であり脳が腐ってゆくとしているのが森教授。分かりやすく例えるなら前向きな隆太と、後ろ向きな森。みんなの人気者になった隆太と、みんなの嫌われ者の森。まあそんな感じ。
とりあえずリポーターがゲーム画面見て「うわっ、これは酷い」とか「血が出てますね」とか言ってんの。なんつーか、残酷なシーンだけを恣意的に抜粋して編集したのがバレバレで困る。
『GTA3』をやったことある奴は分かると思うけど、このゲームの舞台は米国っぽいですが、現実味は限りなく低いです。主人公がアンダーグラウンドの住人で、色々な依頼人から出されるミッションをこなすのが目的。そのミッションの内容も例えば「銀行強盗の運転手をやれ」「マフィアから約束の金を受け取りに行け」「死体を積んだ車をスクラップで処分しろ」等々…まあロスなら日常茶飯事かもしれませんが、普通に考えれば現実世界での出来事というよりむしろ映画の出来事と言った方が違和感は無いです。つまり『GTA3』はハードアクション映画の世界を体感するためのゲームだと思っております。
だから銀行強盗の運転手をやったら警察が追ってきますし、マフィアから金を受け取りに行ったら当然のように四方を仲間のマフィアに囲まれます。これらは映画の世界ではベタベタな展開です。
「こんな状況に陥っても映画なら何とかなるけど、じゃあ俺はどうすればいい?」
こういう風に考えた時点で、プレイヤーはゲームの主人公と一体化する訳です。走って逃走するもよし、車を盗んで逃げるもよし、車の中からマシンガン乱射して応戦するもよし。とりあえずどんな手を使ってでも生き残ってミッションをこなさなければいけない。そのスリルがまたたまらんのです。とりあえず俺の考える『GTA3』の楽しさはこんな所。

で肝心の残酷シーンですが、そもそも『GTA3』を普通に遊んでいたら、一般人を殺すことはあまり意味がない事に気付くはず。確かに一般人を撲殺したら金を落としますが、一人あたり20ドル程度が普通。持ってて80ドル。それに対してタクシー盗んでタクシードライバーとして働くと、普通にやってれば短時間で200ドル程度儲かります。絶対にまともに働いた方が儲かります。つーか金稼いでもあんまり意味無いし。武器買うか車塗装するか以外に使い道無いし。それより殺しすぎて指名手配犯になるデメリットが大きすぎる。下手すりゃ死にますから。まあ警察やマフィアは拳銃持ってるから殺すメリットはあります。ただ報復が怖すぎるので赤字が出るのは確実。それに普通の拳銃は安いし。

ならば一般人は一体何のために存在するのか。『GTA3』の醍醐味の一つにカーチェイスがありますが、俺はカーチェイス中に巻き添えになるために一般人が存在しているのだと確信しています。その理由は明日書きます。今日は何か疲れた。